死に際に、どれくらいの人が「もっと仕事をして過ごしたかった」と思うのでしょうか。

家庭は大切だけど、仕事も大切です。

私は、会社を退職するまで、その両方を何とかこなそうとして、葛藤しながら生活していました。

今は「家庭」という言葉は、仕事と天秤にかけるには、あまりにも軽すぎると思っています。

単なる「家庭」ではありません。幼児~10代の子どもを育てている家庭と、子どもがいない家庭、または20代以上の子どもがいる家庭との「家庭」とは、全く重みが違うと思っています。

家庭と仕事とを(もしかすると他のことも)両立させて幸せになることは、可能なのでしょうか。

無駄な時間の使い方をしないようにすることなら、誰にでもできます。

自分にとって、「良い」か「悪い」かを判断するのは、簡単だからです。

人生において、本当に難しいのは、「良」か「最良」かを判断することです。

「最良」の敵は、「良」であることが多いからです。たくさんの「良」が、「最良」を選択することを邪魔します

私にとっての「最良」とは、今は「子育て」と「家庭生活」の充実です。

フルタイム正社員共働き時代に、「最良」のための時間と労力を使うことを妨げていた「良」は、

・フルタイム正社員としての仕事内容の充実

・仕事への評価・昇進

・学歴や職業へのこだわり

・仕事と家庭を両立したい気持ち

・ママ友との友好的関係

・経済的成功

・高価なモノ(家電製品・家具・衣類)やサービス(週末のお金のかかるレジャーや高級ホテル宿泊の旅行)の購入欲求

「やりたいこと」や「やるべきこと」が多すぎて、疲れ果てていました。

あまりにも多くの「良」が「最良」の邪魔をしていました。
最重要事項を優先していない生活を約6年も続けていました。

時間の使い方をどんなに工夫しても、「自分の人生にとって重要なこと」=「最良(=子育てと家庭生活の充実)」との間に、ギャップがあり、不満が貯まり、葛藤していました。

そして、毎日忙しさで目が回っていました。

仕事・子育て・家庭・女性として、本当に多くのことをこなしていました。毎日くたくだでした。

今は、毎日充実して、すっきりした気持ちで生活しています。
人生で最も重要だと思うことに、自分の時間と労力を使えているからです。

きっぱりと会社員を辞められたのは、「仕事の成功」や「経済的成功」で、自分の幸福を判断し続けると、長い時間がたった後に、自分が頑張ってきた「成功」が、思ったほどの満足感・幸福感がなかったことで初めて、自分の愚かさに気が付くことのないようにしたいことに気がついたからでした。

努力し続けて、夫にもいろいろな犠牲を払ってもらい、私が会社からの要求に答えて仕事をして、勉強をして、昇進を重ねて、上り詰めて、さらに子育てもしていては、結局は幸せにはなれないと思いました。

仕事自体は、面白かったけど、子育てほど面白いものはありません。
企業人としての経済的成功も人生の目標としては良いかもしれないけど、子育てに十分な労力と時間を割いてまで、成し遂げられることではありません。会社員として勤めるだけで経済的成功とは言えないでしょう。

何が最重要(最良)で、何が重要(良)なのかに、はっきりと気が付いて良かったです。

昇進や評価・経済的成功(経済的安心感)のために梯子を登ることに熱中していると、豊かで本当に望む生活を見失います。

そういう人生を歩み続けて、死に際に、どれくらいの人が「もっと仕事をして過ごしたかった」と思うのでしょうか。

突然の危機に直面したときに、例えば、子どもが犯罪に巻き込まれたときに、突然の重い病(残り数か月の命)にかかったとき、相方からの離婚要求をつきつけられたとき、自分の人生の時間を「仕事」に費やしてきて良かった、と私は、思わないでしょう。

私は、共働き時代に読んだこの本がきっかけで、「最良」と「良」との違いを考えるようになりました。

本当の「最良」のために、時間を使いたい人には、参考になると思います。
私は、今でも時折この本を開いて、拾い読みしています。

死に際に、どれくらいの人が「もっと仕事をして過ごしたかった」と思うのでしょうか。

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