「勉強が好き」という子ども(小1)に難問を解いてもらうと・・・。

ここ1か月体調が良くありません。

重い生理→ ものもらい(麦粒腫が2つも・・。完治まで3~4週間かかりました)→ 口内炎 → 風邪(喉)→ 風邪が悪化(喉と副鼻腔炎)今ここ。

これで、フルタイムの仕事をしていたら大変なことになっていたでしょうね・・・。年齢的なものもあるのかもしれません。

まあ、正社員の頃は体調悪化しても、仕方なくマスクして咳止め飲んで、ビタミン剤飲んで、毎日出勤していましたけどね・・・。子どもの病気や行事で、有休はすぐになくなるし、自分の体調不良が長びいても、その期間ずっと休むこともできません。自宅でできる仕事もたくさんあったので、自宅でさせてほしかったです。

今のように自宅でゆっくりと過ごせる生活をさせてくれて、ありがとう、夫。
(それでもなかなか回復しませんけど)

さて、私の悪い体調とは関係なく、子どもは元気に過ごしています。

子どものために、最適な教材を探し、「これは子どもの挑戦したい気持ち」を満足するのでは?という教材に出会えると、購入してみて、子どもと一緒に勉強しています。

中には「これは、小1の子どもには難しいのでは・・・?」という問題もありますが、とりあえず、思考力を高めるために挑戦してみてもらいます。

子どもは、私の思いのほか、しぶとく考えて何とか答えを出そうと四苦八苦しているところが、すごいな~と思います。すぐにはあきらめない性格ということがわかってきました。
(私は、わからなければすぐに答えを見る子どもでした。)

 勉強が好き」という子ども(小1)に難問を解いてもらうことの是非

あきらめないのは良いところなのですが、とにかく時間がかかります。

そして、考えた末の答えが違っていると私が指摘すると、子どもはすごく怒ります。

「違う」と言ってほしくなかったのだろう、ということはわかりますが、その怒りを私に向けるのはやめてほしいのです。もしくは、「おれは、どうせバカやし」と言って、自分を攻撃することもあります。これもやめてほしいです。

「問題が解けないくらいで、死ぬわけでもあるまいし。そんなたいしたことではない。」とか
「もし、できたらすごいけど、できないからといってバカなわけではない。」
と言う感じのことを言うと、

子ども 「お母さんは、この問題わかるん?」というので、

私 「うん。わかる。」

子ども 「難しい?」

私 「い~や、簡単やな。まあ、小1でもこれができる子は、日本のどっかにいてるやろな。」(今思えば、こんなこと言うべきではなかったですね。「1年生にとっては、めっちゃ難しい問題やと思うで。できる子はいてるかもしれんけどな。」程度にとどめておくべきでした。)

子ども 「!”#$%&’()=!!!!(怒りの表情)」

そして・・・

子ども 「俺は、頭悪いし!!バカやし!」とすねてしまいます。

私 「もう1回考えてみたらええやん。いいとこまでいってるで。1回で解ける子がえらいんちゃうで。あきらめへんことが、ほんまに賢いってことやで。天才ってな、あきらめずに、続けることができる人のことやと思うで。」

この後は・・・、頑張って取り組んでみて新しい答えを出しても、それが違っている場合は、また怒ったり、すんなり解けたり・・色々です。怒ってしまった場合は、後日もういちど取り組みます。そうすると、一人でも解けるようになっていることもあります。

勉強を見てあげるとき、親は解き方がわからないふりをして、子どもに考えさせるという手法が有効だと、何かで読んでことがあります。

しかし、親ができないフリをするのは、実際のところは難しいのではと思い、これまで一度もやったことがありません。

特に(子どもにとっての)難問に挑戦した場合、子どもだけの力では最後まで解ききれないこともあります。行き詰っている時に適切なヒントを与えて、それをきっかけに考え続けてほしい、という瞬間があります。

しかし、自分がわからないフリをしていて、それはできるのでしょうか・・。一緒に悩むだけで何にも糸口が見えず、解決しない、なんてことになってしまうのでは?と思います。

うまい具合に、「あ~!!お母さん、良いこと思いついた~!」と言って、「こうしたらどうやろ?」とヒントを子どもにベストタイミングで提示するなんてどうでしょう?

あ~、それ良いかもしれませんね。(自問自答して自己解決してしまいました。)

本当は、難問であっても、ヒントすら与えたくなく、解く方法を自分の力だけで見つけてほしいのですが、うちの子どもは解けないことでストレスを感じる性格のようなので、2日間(1日30分程度)考えてもわからなかった問題は、ヒントを小出しする方針に最近は変更しました。

私は、子どもに自分よりも賢くなってほしいと思っています。親なんか早く超えて、私の知らない世界を見に行ってほしい。そして、この混沌とした世界を楽しみながら生き抜いてほしいと願っています。

そのためには、私と同じようなのほほんとした小学生時代ではなく、頭を鍛える訓練が必要ではないか、と思っているのです。

難問を解けなかったときに、
私 「もう難しい問題を解く勉強やめようか?嫌になったんちゃう?」ときくと、

子ども 「いやじゃない。やりたい。勉強好き!!」と答えます。

私 「え~?なんで?解けへんとき、泣いてわめいて大変なことになってるやん?だからもっと簡単な問題にしようと思ってるんやけど?」

子ども 「いやや。だっておもしろいもん。」

私 「何が?難しい問題やるのが?」

子ども 「うん。難しいけどな・・・、おもろいねん。勉強すきやしな。おれ。(嬉しそう)」

私 「ふ~ん。わかった。じゃあ、これからも難しい問題やるんやな?」

子ども 「やるやる!(嬉しそう)」

私 「わかった。」

という会話を昨日しました。

子どもは、難しい問題をやりたくないわけではなく、「おもしろい」と言ったのです。私がルービックキューブをやっているときの感覚に似ているのかもしれません。

解けないからこそ、面白い。
解けそうだから、やってみる。
解けたときは、なんだかうれしい!楽しい!

こういう快感は、簡単な問題を繰り返しやるだけでは、絶対に感じることができない感覚だとおもいます。

子どもが「解けた!」と思っても、答えが違っていた時の、子どもの怒りの矛先を、私へ向けず、また子どもの能力が足りないなどという自己否定する考えに向けるのではなく、
「もう一度やってみよう」とか
「違う考え方をしてみよう」とか、
「今日はやめて、また明日やってみよう」という方向へ向けていくのが、現在の母としての課題です。

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