子ども(小学1年)と戦艦大和を建造した軍港だった広島県呉市の「大和ミュージアム」へ行ってきました。

広島県の呉(くれ)にある「大和ミュージアム」へ行ってきました。

広島市から呉市までは、車で30分ほどの距離でした。呉市との間に便利な道路ができて、以前よりもラクに行けるようになったそうです。

大和ミュージアムは、平成17年に開館した歴史博物館です。呉が建造した戦艦大和を通して、呉の歴史・呉の技術、そして平和の大切さを一人でも多くの人に伝える事を目的として建設されました。

とても近代的で美しい博物館でした。
大和ミュージアムを海側から撮影

館内に入ると、まず10分の1の戦艦「大和」が展示されていて、その大きさに驚きました。10分の1で、このサイズとは・・・。
子ども(小学1年)と戦艦大和を建造した軍港だった広島県呉市の「大和ミュージアム」へ行ってきました(戦艦大和の10分の1模型)。

戦艦「大和」の全長は236mなので、この模型でも全長が23.6mあるということになります。

「大和」は、1941年当時の最先端技術を呉市に集めて極秘裏に建造された世界最大の戦艦です。1945年4月7日に、沖縄特攻作戦に向かう途中、アメリカの艦載機(艦船に搭載されて、そこから運用可能な航空機のこと)の攻撃を受けて、沈没しました。乗員は3332名のうち、3056名が大和と共に亡くなりました。

この大和ミュージアムには、戦艦大和の乗員の写真も数多く展示されていました。その中には少年のように幼く見える人もいました。また、大和の司令官だった伊藤整一氏が、妻や子供にあてた手紙も展示されていました。

私は戦艦大和について、ほとんど何も知らなかったのですが、大和ミュージアムで色々なメッセージを受け取りました。

多くの模型・ビデオ・写真・遺品などがとてもわかりやすく展示されていました。
大和ミュージアム「回天」
初めて実物を見ました。人間魚雷「回天」(特攻兵器)展示です(試作型)。
全長9m、乗員1名。平均年齢21歳の100名以上の尊い命が失われました。

大和ミュージアム「ゼロ戦」

ゼロ戦の展示です。正式には、零式艦上戦闘機六二型です。当時の日本の航空技術の結晶です。

戦艦大和を通して、戦時中に呉港の一体に、海軍施設が集中し、戦艦や航空機の製造に必要な当時の最先端技術とそれを扱う職人が集まっていたことを知りました。

そして、呉市で戦艦を建造してきた歴史や、戦争のこと、戦艦大和だけでなく多くの戦艦(呉市で建造された戦艦は133隻)や兵器を建造してきた呉の科学技術の一端を知りました。
子ども(小学1年)と戦艦大和を建造した軍港だった広島県呉市の「大和ミュージアム」へ行ってきました(呉市で建造された戦艦133隻)。

敗戦後は、米国からの要求により、日本の戦艦はすべて破壊または解体されて、呉港は軍港としての役割を終えました。

しかし、戦艦を建造してきた科学技術の蓄積と継承により、日本が高度経済成長期を得て、経済大国として劇的な復興をすした支えとなったことも知りました。

戦艦の建造に関わった職人や技術者たちが、培った技術やノウハウを、戦後に民間のモノづくりの現場で発揮していったのです。

例えば、戦後わずが7年後の1952年には、当時の世界最大級のタンカーが製造され、造船王国と言われた日本を支えていきました。

また、戦艦大和に搭載された距離測定装置を製造していたニコンは、戦後にカメラのレンズで世界的に高い評価を得ました。

IHI(石川島播磨重工)は、旧海軍の工廠(軍事工場のこと)を借用して、軍艦の解体作業を経て造船事業を中心に発展し、現在では陸上機械・プラント・航空宇宙分野へと事業分野を拡張しています。

その他、数多くのメーカーで、戦艦の建造に関わった熟練工たちが、民間で優れたモノをつくっていきました。引き継がれた技術は、造船や鉄鋼だけでなく、タービンやジェットエンジン用部品など数多くあります。

現在も日本は、造船、精密機械、自動車、鉄鋼、耐震、ロボット工学などの分野で世界のトップクラスの技術を誇っています。

呉市は、現在も臨海工業都市として、造船・機械・鉄鋼分野がさかんですね。
大和ミュージアムの波止場から呉港を撮影

大和ミュージアムには屋外展示もあります。

これは、海側にある公園から見える景色です。かつて大和を建造した造船所や、行き交ういろいろな船を見ることができます。
大和ミュージアム海側の波止場から見える海とタンカー

戦艦「大和」の実物大の1/4の大きさを体感できる公園では、大和の甲板部分が木になっていて、大砲があった場所がわかるようになっています。

大和ミュージアムの大和波止場(実物大の戦艦大和をイメージした公園)

子どもは、大和ミュージアムでとても興味深く展示を見ていました。

10分の1の模型にも驚嘆していましたし、この公園の4分の1の大きさを体感して、「めちゃでっかいな!!学校の運動場に入るかな?」と言っていました。

「運動場に大和の半分も入らへんよ。全長236mもあるからな。」と答えると、「すごい大きさやな!」と言っていました。

太平洋戦争が勃発してから、呉市で戦艦大和を建造し、大和が1941年4月に沈没した後、8月に広島に原子爆弾が投下されて、日本が敗戦して、戦後に劇的な復興を遂げるまでの歴史がわかりやすいビデオで流れていたのですが、子ども(小学1年生)は、最初から最後までじっくりと立ったまま鑑賞していました。私はビデオを見ながら涙がこぼれました。

子どもと行ってとても良かったと思います。また、子どもが小学生の間に大和ミュージアムへ来ようと思います。

小学校で地理や歴史を学んでいる時に来ると、また戦争や平和、そして科学技術や産業について、深く考えるきっかけになるのではないかな、と思います。

error: Content is protected !!