先取りしても学校の授業を疎かにしないために

先取りしても学校の授業を疎かにしないため
先日、コメントをいただきましたので、記事にさせていただきます。

家庭学習で特に算数は先取りについて世間では賛否両論あると思いますが、先取りしても学校の授業を疎かにしないために、何か工夫や声かけをされていることがあったら、
ぜひ教えていただけないでしょうか?

家庭学習で、算数は学校で習うよりも少しだけ先に進んでいます。

先取りというのは、5学年以上(もっとかな?)先の内容、例えば、公文などで中学・高校教材などに取り組んでいる知人の子どものような取り組みを指すのだと思っていました。しかし、上記コメントをいただきました。

それで、うちも「先取り」というのかな?と少し不思議な感じがしましたが、せっかくご質問をいただいたので、日々の生活を思い出しながら、書きたいと思います。

今、小学2年生なのですが、もうすぐ小学4年生の算数の内容が終わります。と言っても、学校で習う基礎的な内容に過ぎませんので、そんなに難しくはありません。

毎日、15分くらい進めていたら、いつの間にか進んでいた、という感じです。小学校の教科書内容の算数は本当に簡単なので・・・。

学校でやることをすべて自宅で先にやっているわけではないので、子どもは、新鮮な気持ちで授業を受けているように見えます。

先に理解をしているから、授業が面白くない、ということではないと思っています。先生の教え方は、私とは違いますし、私がやらなかったことを学校でやることがあります。参観日では、先生方の準備の苦心のあとが見て取れます。そして、「ああ、学校ではこうやって教えているんだ~。」と思います。

例えば、今はかけ算を学校で習っていますが、2の段を2×50まで計算してみよう~!などという取り組みは学校ならでは、だと思います。私は、かけ算に関しては、九九の概念を教えることと、ランダム暗唱ができるようになるところまで、くらいしかやっていませんでした。概念を教えれば、九九を文章題や図形問題にも適用できますから。

子どもの授業ノートを見ながら、「すごいな~これ。」というと、「うん!先生にすごいってほめられたで!」と嬉しそうに言っていました(短時間で正確に2×100まで計算したのは、子どもだけだったようです。時間があまったので、2×51~2×100もノートに書いたそうです)。

大人でも、内容をある程度知っているからと言って、講義のすべて(講師がどんな風に授業をするのか)を知っているわけではありません。講師の教え方によっては、面白く感じたり、理解が深まったりすることもあると思います。

同じことを違う人に教えてもらうことで、別のアプローチで考える方法を知ったり、知識が定着したり、理解が深まったり、他の知識とリンクしたりすることがあると思います。

私自身が、勉強するときも、同じテーマの参考書・辞書などは1冊ではなく、必ず複数の書籍を所有していて、ことあるたびに参照していました。1つのことを理解するのに、色々な説明を読んだり問題を解いたほうがが理解が深まるということを、体感していたからです。

子どもも同じなのかな、と思っています。

子どもには、私の考えをふだん話していますので、伝わっているのではないかな、と思います。例えば、こんなことを話します。

「お母さんと先生は教え方が全く違う。だから、授業をよ~く聞いて、知らんことが1つもないようにしときや~。知らんことがあったら、お母さんに教えてな。」

「知っていることでも、忘れることはある。人間は忘れやすい生き物やから、何回でも聞いて、理解していくんやで。何回も聞けば、忘れんようになるから。」

ですから、特に工夫というほどのことは意識していません。ふだん思っていることを口にしているくらいです。

こんなことも言ったことがあります。

先に勉強したことを「知ってる!」と学校では言うべできはない

子どもが「知ってる。」と言うことで、まだ知らないクラスの子や、せっかく教えようと準備してきた先生がどんな気持ちがするのか?と子どもに質問して考えてもらったり、自分が先生だったらどんな気持ちがするのか?という問いかけをしたりしたことがあります。

また、子どもが今知っていることは、算数という広い分野のごく一部であり、それを先に知っているからといって、えらくもなんともない、いずれはみんな教えてもらうことだ、ということも、よく言います。

本当にえらいのは、他の人よりも先にやっていることではなくて、自分ができないこと・わからないことを認め、受け入れた上で、正しい方向へ努力を継続できる人なんよ。」ともよく言っています。

「授業で習うよりも先に家とか塾で勉強している人なんて、世界中にたくさんいる。〇〇君(子どもの)よりも、もっと先まで勉強している人も山ほどいる。小学2年生で大学レベルの数学がわかる子だっているんよ(これは事実確認はしていませんが・・・)。だから、ちょっと先のことを知ってるからって、えらそうにしないこと。」というようなことも言います。

また「能ある鷹は爪を隠す」のことわざの話もしたことがあります。本当に能力がある人は、それを人にひけらかさないのだ、ということです。そして、ひけらかす人のことを、どう思うか?と質問して考えてもらうので、おのずと自分の取るべき行動が見えてきているのではないかな・・・と思っています。

そういえば、処世術のようなことも話すことがあります。

特に、担任先生の立場から見たら、「もう、知ってる~」とか、授業を真摯な姿勢で受けていない場合に、どう見えるのか?ということです。

これは、子どもに質問したら、子どもなりの答えが返ってきました。まだ幼いながらも、きちんとした倫理観をもっているように見えました。

だから、たとえつまらない授業だったとしても、まじめな態度で授業を受ける、ということが、先生から見たときに好ましい子どもとして目に映るのだ、ということも話したことがあります。つまり、授業をちゃんと聞いている態度をはっきり示すということは、先生に対するアピールになるのだ、ということです。

「授業を聞いていない子や授業の邪魔をする子と、一生懸命聞いている子がいたら、〇〇君(子どもの名前)が先生だったら、どっちの子が好きになる?ほんで、もっと面白いこと・役に立つことを教えてあげようと思うのは、どんな子だと思う?」などの質問をしてみることもあります。

質問をすると、子どもは、先生が好む良い態度とは何か、よくわかっているな~と思いました。

今のところ、小学校でつまらない授業はなく、とても楽しいそうですが、もし授業がつまらなかったとしても、「つまらない」という態度をあからさまに表に出すのは、世の中をうまくわたっていくためには良くないことだと思います。やってもいいですが、しんどいだけです。先生から嫌われます。私がそうでしたから。

大人もそうですよね。つまらないことを表に出しても良いときと悪い時があります。自分の気持ちをあからさまに表に出すのではなく、場をわきまえた態度をとることは、この社会をうまくわたっていくために必要なことだと思いますし、職場ではほとんどの人が意識しなくても普通にできていると思います。

処世術は、放っておいても、集団の中でもまれることで、だんだんと身についていくことなのかもしれませんが、親が口にするのが悪いことだとも思いません。実際に社会に出たときには、身に着けておくべきことなので。

授業をきちんと受ける、ということは、厳密にいえば、子どもにはとても難しいことだと思っています。きちんと受けるのが、ひたすら黙っていて友達とおしゃべりしないことなのか、先生の言っていることを100%聞き取って理解することなのか、ノートを綺麗にとることなのか・・・。何をもって「授業をおろそかにしない」と言えるのか?とも思います。

私も大学の講義1コマ90分を集中して聞いていたことは、まずなかったと思います。そこまで私は集中力が持ちません。

90分の講義の間、教授の説明をきちんと聞いてノートを取ったり、考え事をしたり、また聞いたり、全然違う授業の課題をやったり、メールを打ったり・・・。そんなときも多々ありました。

私の小学校時代なんて、授業をほとんど聞かずに、ずっとおしゃべりしているような子でした。よく怒られていました。態度が悪い、と面談で言われた、と母親からよく聞きました。

授業はあんまり聞かなくも、テストでは100点を取りまくるので、先生からすれば、嫌な子だったと思います。嫌われるのも当たり前ですね。

でも、授業を聞いていなかったわけではありません。一応は聞いてみるけど、教科書と同じ内容を先生が説明しているとわければ、聞く気が失せて違うことをしていたような記憶があります。自分の知らないことを話してくれる先生や、知っていることでも他と結び付けて教えてくれるような先生の授業は、引き込まれて聞いていました。

でも、私は先取りなんて全くしてもらったことのない田舎の子どもでした。親はそういうことに無頓着でした。理解と記憶のスピードが、平均よりもかなり早い子どもだったんだろうと思います。

だから、授業をまじめに受ける態度というのは、先取りしているかどうかにはあまり関係ないような気もしています。

1つの個性なのかもしれません。

授業をまじめに受けているように見えても、実際は内容を理解せずにノートを綺麗に書く(板書する)ことに苦心していたり、違うことを考えていたりしても良いでしょうか。

それとも、授業を不真面目に受けているように見えても、ノートを取らなくても、きちんと内容を理解していて、記憶もしているとすれば、問題ないでしょうか。

私は、どちらも不正解だと思います。まじめに受ける態度+先生の説明の理解と記憶の両方があるのがベスト、だと思います。小学校側から求められている模範生はこんな感じだろう、と想像しています。

しかし、実際には難しいことだろう、と思います。

先取りの有無にかかわらず、理解が早い人は、教科書をちらりと読んだだけで、わかるんです(教科書は理解しやすいように工夫されているので)。ですから、内容全部わかってんのにいちいち聞かんとあかんねん、と思うのも本当の気持ちです。高校時代は、こういう生徒はちらほらいましたが、授業中に勝手に先まで勉強したり、眠い場合は睡眠をとったりしていました。先生は、聞きたい人・聞く必要があると思う人だけ聞けば良い、と言ってくれていましたので、とても居心地が良かったです。こういう態度が許されるのは、高校でしかも進学校だけなのかもしれません。

小学校は、わかっていても我慢して聞く、という処世術を身に着ける練習だと考えても良いかもしれません。公立小学校は理解が遅い子にとっては比較的居心地が良いと思いますが、理解が早い子にとっては、とても苦痛な場合もあります。自分がそうだったのでとてもよくわかります。

それでも、自分の子どもには、授業中にほかの子の邪魔をしないこと、先生の話を集中して聞くこと、先生のお話をちゃんと聞いているよと態度で示すこと、などの大切さを話しています。

学校生活において、自分がどう行動すべきか・どういう態度をとるべきか、については、自分の行動がどういう結果を招くのか?がわかっていれば、答えは出るだろうと思っています。

私は、親にそういうことを話してもらったことがありませんでした。話してくれていたら、少し違う小学生時代だったのかもしれません。

小学2年生くらいであれば、頭でわかっていても、行動できないこともあるだろう、と思っています。大人の私でもありますから。

私のできることは、自分の知りうる限りの、授業を真摯に受けることのメリットとデメリットを話してやり、自分で考えさせることくらいかな、と思っています。子どもの学校での行動を親の私がコントロールすることまでは、とてもできませんので・・・。子どもが行動する前の何か判断をする段階で、考える材料を提供している、という感じです。

これで、うまくいくかどうかもわかりませんが、今のところは順調だと思います。

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